いろいろ考えています。
学校って、サービス業なんでしょうか?
義務教育はさすがにサービス業とはいえませんね。
教育にサービスを最初に持ち込んだのはどこかは定かではありません。
早い時期に、サービス業的な発想で展開したのは学習塾でしょう。
最近では、幼稚園、私立の中高、大学まで、
生徒、学生、父兄の満足度を追い求めているように思える節がありますね。
教員が聖職としてあがめられていた時代がありました。
それから、教員も一労働者という考え方が一般的となり、
現在に至っています。
この流れが、教育のサービス業化の発端ではなかったかと
私は個人的に思ったりしています。
教員が、教育という労働で賃金をもらうなら、
彼らから受ける教育サービスに対して、
学費、授業料が支払われる(たとえそれが税金で賄われようとも)。
ならば、そのサービスに対して、
顧客満足を求めることも、やぶさかではなかろうかという論法です。
それに輪をかけたのが、少子化ですね。
少子化で、生徒(学生)数を確保する為に、
過剰なまでのサービス合戦、値下げ合戦をしているのをみると、
教育って、サービス業と捉えるべきなのか?って
自分のスタンスがぐらつくようにも思います。
特に最近思うのは専門学校のスタンス。
本来、専門技術を身につけることから学校として認められた経緯があるはずです。
医科専門学校は、
本来、医者になるための技術及び学問を修得する為の学校として登場し、
現在の大学教育の中に吸収されました。
最近でも、今まではほとんど専門学校で教育されていた、
看護士、理学療法士などの資格教育も、
どんどん大学教育化されています。
でも、未だに多くの資格教育が専門学校で行われているのも事実です。
そんな中で、専門学校も時流に押し流され、
いつの間にかサービス業化してしまうのか。
その流れの是非を問おうとしているわけではありませんが、
その職業、職業において、本質というものがあるように思います。
和食職人には和食職人の、
医療人には医療人の、
持っていないといけない本質というものがあるのではないかと思うのです。
そうでなければ、
料理の技術を学びたいのであれば、一般の料理学校でよいし、
免許だけ取りたいのであれば独学と方法もあるはずなのです。
調理師の専門学校で、料理を学ぶ必要は無いはずなのです。
プロの医療人になることを目指している人が医療系の専門学校で、
手指消毒がなっとらん!
服装がなっとらん!
と言われた学生がいる。
当然学生はお金(授業料)をはらってます。
「俺は客だぞ。なっとらんとは何事か。
お前になんかそんなことを言われる筋合いはない。」
サービス業としては顧客の満足度を上げることができなかったと、
反省すべき出来事なのでしょうが、
専門学校というのは、将来そこで身につけた資質、技術、思想で
将来お金をいただく側にたるための学校のはず。
客意識で参加している学生が伸びるわけはありません。
専門学校のスタンスとして、
学生に、サービスを提供するだけの場なのか、
学生が、修得した技術を用いサービスを提供する側になる為の研修の場なのか、
このスタンスにより「お金をもらっている側(学校側)」の立ち位置が変わります。
前者の場合、
「あなたは、それではいつまでもお金をいただく側にまわれないですよ」
という割り切りがベースのうえで、サービスを提供します。
学生は、短絡的には満足するかもしれません。
後者の場合は、
将来学生が修得した技術を用いサービスを提供し対価を得るために必要な、
技術、思想、資質を磨く場を提供します。
学生からは、厳しすぎる、息が詰まると、
その時は不評を招くかもしれません。
本来の、専門学校の使命を忘れ、
サービス業の一角での教育産業として生き残ることが、
悪であるとは言いません。
それは、組織の生き残り戦略だと思いますから。
しかし、学校選びをする側については、
その選択における将来の責任を自分が取るという意識を持って欲しいと思います。
調理学校を卒業しても、包丁の持ち方が汚いとか、
服装が汚いとかで、職を失うことが起こるかもしれません。
医療系の専門学校を卒業しても、医師にたいする接し方ができていないとか、
衛生概念が乏しいとかで、職を失うことが起こるかもしれません。
単に資格だけを取りに専門学校を選ぶのか、
その職業に誇りを持って就き
その職業で対価を得るべく専門学校を選ぶのか、
何が目的で専門学校を選ぶかという基準を持たなければ、
将来、結果が自分に帰ってくるんだという認識を持って欲しいと思います。
と、いろいろ考えています。