私は、小さいころの記憶として、祖母(正確には祖父の妹)に連れられて、真言宗の講話会に連れていかれていたようです。どうもおやつに釣られて行っていたようです。
次は、小学生のころ妹の通っていたキリスト教系の幼稚園の日曜学校に通っていました。これもどうも教会で出るおやつが魅力だったようです。
父の実家の宗派は真言宗で、大きなお寺の檀家だったようですが、父は結婚してからお墓を違う墓地に移しました。
母の方は、実家には仏壇と、神棚が両方あるような家でした。
私たち家族は、特に信心深いわけでなく、標準的な日本の家庭。
そんな中で、私は中学高校とカソリック系の私立学校に進学、妹はプロテスタント系の学校に進学しました。
友人たちの中には在学中に、洗礼を受ける人もいましたが、私は特に感ずることもなく成人したわけです。
「Men For Others」、「Mastery For Service」同じような教育理念の中で10年間を過ごしましたので、人格形成の中ではかなり影響を受けているなと思うのは、特に年をかさねてからでしょうか。
ただ、神が唯一であるという考え方にはどうしても納得がいっていないのは今も同じです。
ただ、自分に子供ができ、孫が生まれ、家族が増えますと、こうして自分が生きているのは脈々と続く祖先のみなさんからの血筋であるということを実感しているわけです。
科学が発展し、地球の誕生、宇宙の誕生、生命の誕生のプロセスが徐々に明らかにされようという時代に、神も何もなかろうという人が周りにも多いですが、私たちの住む日本がどのように誕生したかという拠り所として、日本神話を手に取ることが多いわけで、子供のころから数えるともう何回読んでいるでしょう。
日本の神話として、絵本を手始めに、文学全集の初期の記紀、最近は手軽な文庫本の古事記を手元において、古事記や日本書紀の内容を参考にした小説などを読んでいます。
日本の神話
日本の神話というのは、数たくさんあります。
古事記そのものを読むよりは、神話として物語として読む方が内容はわかりやすいです。
神々の名前がたくさん出てくるだけで「訳わかめ」ということになり、読む気がなくなりますから、大人でも神話から読むのが良いのではと思います。
その中で、古事記にまつわる逸話を、子供達には絵本で読んでもらいました。
この絵本は、現在も継続販売されているようですね。
絵を描かれた赤羽末吉さんは有名な絵本画家、作家ですからご存知の方も多いのではないでしょうか。
子供にはちょっと怖い絵もあるようですが、お母さんが一緒に読みながら説明してあげるとよいでしょうね。
うちでも奥さんが最初は子供たちに説明していましたが、いつの間にか子供だけで繰り返し読んだりしていました。
絵本ではちょっと幼すぎるが、活字離れをしている年代の人たちには映像が良いかもしれませんね。
奥さんが古事記に興味を持ち始めてくれましたので、本を勧めましたが活字を追うのが億劫なそうなのでこのお正月にお年玉としてプレゼントしたのがこれです。
これも、絵本と同じく6部構成となっています。
映像なので今の若い世代の人にも受け入れやすいかもしれませんね。
私はユーキャンで買いました。
孫たちにも見せてあげたいと思っています。
現在は、このブログでも紹介したりしていますが、神様の御用人という小説の題材として取り上げられる、天津神や、国津神のエピソードなどを読むとき、古事記を読み返したりし、古事記では触れられていないことを空想したりして楽しんでいます。
神々の名前も、古事記、日本書紀で異なったり、エビソード自体が異なっていたりします。それは、その時代の書き手の天皇家への忖度と考えるのが基本でしょうが、そこに意外なエピソードを散りばめる作家の才能に驚いたりしてます。
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