私が所属している学校法人の元総長である病理学の名誉大学教授が書かれた文章に以下のようなものがあります。
「日本の病理学は90年以上の歴史を持っていますが、社会的に病理学という学問が一般に認知されているわけではなく、現在、病理医という職業はほぼ検査技師と同じ扱いで、病理診断が病理医によらなければならないという欧米の規則が日本では必ずしも守られておりません。日本の病理医の多くは“汚い、貧乏、そして変人”とからかわれ、医学生には甚だ人気の無い領域あるいは基礎医学系の医師とみなされております。一方、アメリカでは病理学あるいは病理医は人気のある学問領域あるいは臨床医師で、若い医学生が希望するベスト3の中の一つで、収入も高いという事実があります。日米でどうしてこのような病理学に対する認識あるいは病理医の社会的非違の差異が出てきたのでしょうか。世界で病理学の神様と畏敬されるハーバード大学のロバード・E・スカーリー名誉教授は『アメリカでも50年前は日本の現況と同じでした。これでは駄目だということで50年の計を編んだのです』、『あらゆる機会を作って、病理学あるいは病理医の立場向上のための宣伝を行ってきました』、『いつも有力な政財界のつてを求めて、病理学の夢を語り、彼らに米国の病理学あるいは病理医のボジション・アップを図ってきました』、また『講義の中で若い医学生に病理学の夢を語り、彼らに米国の病理学あるいは病理医の将来の夢を託してきたのです』等々・・・・
これらのスカーリー名誉教授の言葉は、日本の病理学や病理医のみでなく、兵庫県鍼灸師会あるいは日本の鍼灸師全体にも通じるものがあります。」
これは、2001年に兵庫県鍼灸師会が設立50周年を迎えたときの祝辞として寄せられた言葉の一節です。鍼灸師会が中心となって、日本国内の鍼灸師の力を結集し鍼灸学をより深く大きいものとし、鍼灸師を社会的により高い地位にあげるように努力することを望まれての言葉です。
これはもう、20年近くも前のこととなります。鍼灸学、鍼灸師のポジション・アップは鍼灸師会の総意であり、そのための公益法人活動を続け更に向上心を持った若い鍼灸師を育て日本の鍼灸学、鍼灸師の将来の夢を託するために鍼灸師養成施設が設立されたわけです。
私は、その時の設立委員長の意気に感じ、私に出来ることをお手伝いしようと設立時から現在に至るわけですが、最初から順風満帆であったわけではありません。設立委員だけで養成施設が成り立つわけではなく、こうした設立理念を説きながら、賛同してもらえる教職員、志を持った学生を集めたつもりですが、やはり途中で袂を分かつ人も出ました。
ただ、この設立理念はぶれることなく、設立委員の情熱もさめることも無く現在も学校の基本理念として流れています。
そして、教員もこうした情熱を持って学生を指導し、卒業生を送り出しています。卒業生の中にもこうした考えを受け継ぎ様々な形で社会貢献をしている人が少しずつ増えていると感じることが出来ます。スカーリー名誉教授の50年の計でいえば、あと四半世紀以上先にならないとアメリカにおける病理医、病理学のようにはならないのかもしれませんが、まだまだ、私達の挑戦は続くということです。
以上は、鍼灸の養成施設に関するお話です。
同じ法人でもう一つ柔道整復師の養成施設を立ち上げました。
柔道整復術というのは、残念ながら学問としての確立が遅れています。鍼灸術は、中国で生まれ長い月日の中で形を変えながら伝承され、その有効性が学問としても研究され、医療技術として認め確立されている国が世界的にも何ヶ国もあります。が、残念ながら柔道整復術はWHOでも日本の伝統医療・民間療法として柔道セラピーという名称が紹介されているに過ぎません。
しかし、日本の武術、柔道における活法の技術から生まれた伝統ある治療術であり、その治療効果は認められており、鍼灸と同じく国家資格となっています。日本では国家資格として医療行為の認められている資格として、鍼灸と同じく国民の健康に貢献するものです。
昨今の一部の資格者による不祥事で、不信感を与えてしまっていますが、柔道整復術もその有用性を広く知ってもらい、認知度アップ、柔整師の地位向上を図らなければならないのは鍼灸と同じです。
鍼灸のように、単独で学問としての確立は更に難しいかもしれませんが、運動学、生理学、整形外科学などとの共通分野での学問としての研究や、施術の実施結果によって、柔道整復学を発展させ、柔道整復師のポジション・アップを図ることは柔道整復師の務めだと考えるわけです。
こうした考えは鍼灸養成施設を設立したときの理念と同じものであると考え、柔整師養成施設の設立に踏み切ったのです。
設立から7年が経ちましたが、正直、歴史的背景も薄く一般には整体、カイロ、マッサージと区別がつきにくいこと、また、私達の理念に賛同してくれる柔整師が少ないこと、こうした大儀よりも目の前の生活という資格者が多いという現実があります。
そんな中、私達の養成施設は、「医は病を診るのではなく、人を診る」という大原則であり、そういう思いで治療にあたれる医療人となることが、治療家も患者も幸せになれる道であると学生に説き、柔道整復術の将来を担える柔整師の育成に当たっているわけです。
ある程度医学としても認知されている鍼灸でも、17年ほどではまだまだ先は見えません。ましてや学問としても認知されていない柔整では7年ほどのヨチヨチ歩きです。でも、夢はあきらめず、私達の志を注いでくれる鍼灸師、柔整師の養成に力を注いで生きたいと思います。